東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)58号 判決 1976年3月31日
東京都杉並区久我山三丁目二番一五号
原告
北村和子
同所
原告
小島澄子
同所
原告
小島文子
右原告ら訴訟代理人弁護士
大隅乙郎
東京都杉並区天沼三丁目一九番一四号
被告
荻窪税務署長
右指定代理人
伴義聖
同
丸森三郎
同
中村紀雄
同
斉田信
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告ら
1 北村和子
被告が昭和四六年八月三一日付で原告北村和子の昭和四五年分所得税についてした更正及び過少申告加算税の賦課決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
2 小島澄子
被告が昭和四六年八月三一日付で原告小島澄子の昭和四五年分所得税についてした更正及び過少申告加算税の賦課決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
3 小島文子
被告が昭和四六年八月三一日付で原告小島文子の昭和四五年分所得税についてした更正及び過少申告加算税の賦課決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
二、被告
主文と同旨の判決
第二、原告らの請求原因
一、原告らの昭和四五年分の所得税について、原告らがした各確定申告、これらに対する被告の各更正(以下「本件各更正」という。)及び各過少申告加算税の賦課決定(以下「本件各決定」という。)の経緯は、別表記載のとおりである。
二、しかし、被告がした本件各更正のうち、原告らの各確定申告に係る所得金額を超える部分は、いずれも原告らの所得金額を過大に認定したものであるから違法であり、したがつて右各更正を前提としてされた本件各決定も違法である。
よつて、原告らはそれぞれ原告ら各自に対してされた右各更正及び右各決定の取消しを求める。
第三、請求原因に対する被告の認否及び主張
一、請求原因に対する認否
請求原因一の事実は認める。同二の主張は争う。
二、被告の主張
1 原告らは、次に述べるとおり、その共有に係る別紙物件目録(一)ないし(三)記載の土地(以下「(一)ないし(三)の土地」という。)をいずれも昭和四五年中に譲渡し、右各譲渡に係る譲渡所得を得たにもかかわらず、同年分所得税の確定申告において、右譲渡所得の金額を申告していなかつたので、被告は原告らの各確定申告に係る所得金額に右各譲渡所得の金額を加算して本件各更正をし、本件各更正を前提として本件各決定をしたものである。
2 (一)及び(二)の土地の譲渡について
原告らは昭和四五年二月二六日ころ訴外東旺株式会社に対し(一)の土地を代金一六、八六九、〇〇〇円で売却し、同年三月二七日ころ訴外トーシヨースチール株式会社に対し(二)の土地を代金一二、二四六、四〇〇円で売却した。
3 (三)の土地の譲渡について
(一) 原告らは、次に述べるとおり、昭和四五年中に(三)の土地を訴外田中富作に対し代金一二、四七二、〇五〇円で売り渡した。
すなわち、(三)の土地は原告らが訴外光山鉄太郎から買い受けた土地であり、渋谷区代々木五丁目四五番一の土地の一部をなしていたが、昭和四五年一月一四日右四五番一の土地から原告らの買い受けに係る部分の土地が同所四五番三として分筆され、同年一月二八日右四五番三の土地が、同所四五番三、同所四五番四((二)の土地)及び同所四五番五に分筆され、更に、同年二月一九日右四五番三の土地が(一)及び(三)の土地に分筆されたものである。
ところで、(三)の土地の売買については、昭和四四年一二月ころから不動産業者を介して原告らと田中富作との間で交渉が始められたが、売買契約が成立したのは、坪当り単価を三三五、〇〇〇円、売買の目的土地の面積を約三七坪とする旨の合意が成立した昭和四五年一月七日ころであり(右売買契約の成立は、当初昭和四四年一二月二七日と主張したが、右主張は撤回する。)、そのころ原告らの要請により契約日を昭和四四年一二月二七日とする売買契約書が作成された。更に、右土地の測量が行われ目的土地の面積が三七・二三坪(一二三・〇八平方メートル)と確定されたのは昭和四五年二月一六日ころであり、同年二月一九日に至り(三)の土地が前記四五番三の土地から分筆登記され、同年三月二日に田中富作のため同年二月二六日の売買予約を原因とする所有権移転請求権の仮登記がされた。したがつて右土地の売買代金につき収入すべき権利が確定したのは昭和四五年というべきである。
(二) 仮に田中富作との売買契約が昭和四四年一二月二七日成立したとしても、原告らは、次に述べるとおり、昭和四五年中に(三)の土地を訴外松永滋に対し代金一二、四七二、〇五〇円で譲渡し、右譲渡に係る収入を得たものである。
すなわち、原告らは、いつたん(三)の土地を田中富作に売却したが、昭和四五年四月五日ころに至り、田中富作が売買代金を完済できなかつたため、右両当事者間で右売買契約を合意解除し、その後原告らは同年四月二五日ころ右土地を松永滋に対し代金一二、四七二、〇五〇円で売却したものである。
4 原告らの昭和三五年分譲渡所得金額の算出根拠は、次のとおりである。
(一) 収入金額
(一)の土地の譲渡による収入金額一六、八六九、〇〇〇円、(二)の土地の譲渡による収入金額一二、二四六、四〇〇円及び(三)の土地の譲渡による収入金額一二、四七二、〇五〇円である。
ところで、原告らは(一)及び(三)の土地を敷地として別紙物件目録(四)記載の建物(以下「本件建物」という。)を共有し、同所に原告小島文子及び原告小島澄子が居住していたのであり、(一)及び(三)の土地は右建物とともに譲渡されたものであるから、(一)及び(三)の土地の譲渡による収入金額のうち、原告小島文子及び原告小島澄子の分については、租税特別措置法(以下「措置法」という。)第三五条(居住用財産の譲渡所得の特別控除。昭和四八年法律第一六号による改正前のもの。以下同じ。)の規定が適用になる。
また、(一)ないし(三)の土地は、原告らが昭和二六年以降光山鉄太郎から借り受けていた同人所有の土地(面積合計五四五・四五平方メートル)の一部であつて、原告らは昭和四四年一二月二六日ころ、光山から右借地を一二、〇〇〇、〇〇〇円(一平方メートル当り二二、〇〇〇円。ただし、更地価額より借地権の価額を控除した底地価額である。)で買い受け、これを共有するに至つたものである。したがつて、(一)及び(三)の土地の譲渡による収入金額のうち、(一)及び(三)の土地の底地価額に相当する金額六、七九七、三四〇円(右各土地の面積合計三〇八・九七平方メートルに前記光山との売買における一平方メートル当たりの底地価額二二、〇〇〇円を乗じたもの。)と右各土地の取得に要した登記費用等の金額一三七、七〇〇円との合計額六、九三五、〇四〇円が措置法第三二条(昭和四八年法律第一六号による改正前のもの。)の規定する短期譲渡所得の基礎となる収入金額(以下「短期譲渡収入金額」という。)に該当し、その余の金額二二、四〇六、〇一〇円が長期譲渡所得の基礎となる収入金額(以下「長期譲渡収入金額」という。)に該当する。また、(二)の土地の譲渡による収入金額のうち、右土地の底地価額に相当する金額二、七八三、二二〇円(右土地の面積一二六・五一平方メートルに前記一平方メートル当たりの底地価額二二、〇〇〇円を乗じたもの。)と右土地の取得に要した登記費用等の金額七九、八五〇円との合計額二、八六三、〇七〇円が短期譲渡収入金額に該当し、その余の金額九、三八三、三三〇円が長期譲渡収入金額に該当する。(一)ないし(三)の土地の譲渡による短期譲渡収入金額を右各土地の取得費と同額と認定したのは、右各土地(底地部分)の取得の時から譲渡の時までが極めて短期間であり、その間に仮に譲渡益が生じても少額であると認められること、また、その測定が困難であることによる。
(二) 取得費
措置法第三一条の二(長期譲渡所得の概算取得費控除。昭和四八年法律一〇二号による改正前のもの。以下同じ。)の規定により、(一)及び(三)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額二二、四〇六、〇一〇円に係る取得費は、右収入金額の百分の五相当額一、一二〇、三〇〇円となり、(二)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額九、三八三、三三〇円に係る取得費は、右収入金額の百分の五相当額四六九、一六六円となる。
前記(一)ないし(三)の土地の短期譲渡収入金額に係る取得費が、同収入金額と同額であることは前述したとおりである。
(三) 譲渡に係る経費 七六〇、九二〇円
(四) 譲渡所得金額
(一)及び(三)の土地の譲渡による所得金額は、(一)及び(三)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額二二、四〇六、〇一〇円から取得費一、一二〇、三〇〇円及び譲渡に係る経費五三六、八二九円(総額七六〇、九二〇円の百分の七〇・五五相当額)を差引いた残額二〇、七四八、八八一円となり、原告一人当たりの金額はその三分の一相当額六、九一六、二九三円となる。また、(二)の土地の譲渡による所得金額は、(二)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額九、三八三、三三〇円から取得費四六九、一六六円及び譲渡に係る経費二二四、〇九一円(総額七六〇、九二〇円の百分の二九・四五相当額を差引いた残額八、六九〇、〇七三円となり、原告一人当たりの金額は、その三分の一相当額二、八九六、六九一円となる。
そこで、原告小島文子及び原告小島澄子の昭和四五年分の各譲渡所得金額は、いずれも長期譲渡所得金額九、八一二、九八四円(右六、九一六、二九三円と二、八九六、六九一円との合計額である。)から措置法第三五条第一項第一号の規定による特例控除金額六、九一六、二九三円及び同法第三一条第二項(昭和四八年法律第一六号による改正前のもの。以下同じ。)の規定による特別控除金額一、〇〇〇、〇〇〇円を控除した一、八九六、六九一円となり、原告北村和子の同年分の譲渡所得金額は、長期譲渡所得金額九、八一二、九八四円から同項の規定による特別控除金額一、〇〇〇、〇〇〇円を控除した八、八一二、九八四円となる。
第四、被告の主張に対する原告らの認否及び主張
一、被告の主張に対する認否
被告主張第三の二1の事実のうち、原告らが(一)ないし(三)の土地を共有していたこと、原告らが被告主張の譲渡所得の金額について申告していないこと、被告がその主張のとおり加算を行つて本件各更正をしたものであることは認めるが、その余の点は争う。
同2の事実は認める。
同3の(一)の事実のうち、原告らが(三)の土地を田中富作に対し代金一二、四七二、〇五〇円で売渡したこと、(三)の土地は、原告らが光山鉄太郎から買い受けた土地であり、前記四五番の一の土地から被告主張の経緯により分筆された土地であることは認めるが、その余の点は争う。同3の(二)の事実は否認する。
原告らは、次に述べるとおり(三)の土地を昭和四四年中に売却したのであるから、右土地の譲渡に係る譲渡所得は、原告らの本件係争年分の所得とはならない。
すなわち、原告らは(三)の土地を昭和四四年一二月二七日田中富作に代金一二、四七二、〇五〇円で売渡す旨契約し、同日田中富作から手附金として二〇〇、〇〇〇円を受領した。そして、昭和四五年二月末日までに田中富作より代金の大部分を受領したので同年三月二日付で右土地について田中富作のため所有権移転請求権の仮登記をした。もつとも、原告らと田中富作との間で同年四月右契約を合意解除する旨の書面が作成されているけれども、右合意解除は単に形式的なものであつて、実際は、田中富作が事業に失敗して右売買代金を完済できなくなり、同年四月二五日訴外松永滋に右土地を一二、四七二、〇五〇円で転売し、原告らと田中富作及び松永との間で右土地について中間省略登記をする合意が整い、同年五月一日小島文子名義から松永に対し所有権移転登記がされたというにすぎない。
そうでないとしても、原告らは田中富作及び松永滋との間で同年四月二五日田中富作との間の右売買契約について当事者変更による更改契約をしたにすぎず、この契約は従前田中富作との間でした右売買契約と同一性を有し、新規の契約というべきではない。したがつて原告らは田中富作から契約解除による違約金その他の損害賠償金の支払いを一切受けていない。
同4の(一)の事実のうち、昭和四五年において(一)及び(二)の土地の譲渡による収入金額が被告主張のとおり存したこと、原告らが本件建物を共有し、同建物に原告小島文子及び原告小島澄子が居住していたこと、(一)及び(三)の土地が本件建物の敷地に供されており、本件建物とともに譲渡されたものであること、原告らが被告主張の経緯により(一)ないし(三)の土地を被告主張の金額で買い受け、これを共有するに至つたものであること、(一)ないし(三)の土地の取得に要した登記費用等の金額が被告主張のとおりであることは認めるが、その余の点は争う。同4の(三)の金額は認める。同4の(四)の主張は争う。
二、原告らの主張
1 被告の主張3の(一)の売買契約の成立日に関する主張の撤回は自白の撤回に当たり、異議がある。
2 原告北村和子の居住関係について
原告北村和子は本件建物を措置法第三五条の規定する居住の用に供していたものである。すなわち、同原告は、昭和四四年五月四日父小島武男が死亡し、母原告小島文子、妹原告小島澄子が二人だけで居住するようになり、母は高齢(明治三八年生)であるうえ父死亡後病気がちとなり、妹は先天性壟者で身体障害者等級二級であるため、同年一〇月頃以降当時夫及び子供二人と居住していた東京都世田谷区南烏山六丁目一〇の二の二〇三(公祉の賃貸アパート)より本件建物に子供達を連れて住居を移し、母及び妹の世話をしていたのである。原告北村和子の夫がともに移転しなかつた理由は、いずれ昭和四五年中に他所に原告ら及び原告北村和子の家族が一緒に住む家族を建築する計画があつたので、将来再び引越さなければならない不便を考えたからであつた。
仮に同原告が本件建物に現に居住していた事実が認められないとしても、同原告は、原告小島文子及び原告小島澄子を世話するため、その子供達の転校に適した時期を見計い、夫及び子供達とともに前記アパートを引き払い他所に買換え建物を取得するまでの間本件建物に居住する意図を有し、かつ、そのための準備として自己の身のまわりのものを持参して専ら本件建物に寝泊りし、原告小島文子及び原告小島澄子の世話をしていたのであるから、本件建物の敷地を譲渡する時点で、原告北村和子の右居住の意思は近い将来実現されることが客観的に明白であつたといわなければならない。
3 (二)の土地が原告らの居住用建物の敷地に供されていた事実の有無について
(二)の土地は(一)及び(三)の土地と一体のものとして、本件建物及び本件建物とは別棟の原告ら共有の建物の敷地の用に供されていたものである。そして、原告らが本件建物を居住の用に供していたことは前述のとおりであるが、(二)の土地上に存する右別棟の建物も、本件建物の離れとして専ら来客者用に使用され、本件建物とともに原告らの居住の用に供されていたものである。
第五、原告らの主張に対する被告の認否
被告の主張第三の二3の売買契約成立日に関する主張の撤回は、自白の撤回に当たらない。仮に自白の撤回に当たるとしても、原告と田中富作との間において(三)の土地の売買契約が成立したのは、同3の(一)において述べたとおり、昭和四五年一月七日ころであり、昭和四四年一二月二七日に成立した事実はないから、自白は真実に合せず、かつ、錯誤によるものである。
原告らの主張第四の二2の事実は争う。
同3の事実のうち、(二)の土地上に原告主張の別棟建物が存在したことは認めるが、その余の点は争う。
(二)の土地上に存した原告ら共有の別棟建物は、昭和三四年頃から昭和四五年四月に取り壊されるまでの間原告小島文子の弟の未亡人青木和子及びその長男青木弘が居住の用に供しており、同人らと原告らとの生活は完全に分離していたのである。また、右建物には外部公道からの出入口、玄関及び勝手口等が設置され、その敷地は板べいと生垣に囲まれ、(一)及び(三)の土地とは明確に分離されていたのであつて、右建物は、原告らが本件建物の離れとして使用できるような状況にはなかつたのである。
第六、証拠関係
一、原告
1 提出・援用した証拠
甲第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし五、第六、七号証の各一、二、第八、九号証、第一〇号証の一、二、証人田中富作、同吉岡忠、同松永滋及び同北村啓二の各証言並びに原告北村和子本人尋問の結果
2 乙号証の成立の認否
乙第二号証の一、第四ないし第八号証の成立は知らない。その余の乙号各証の成立(乙第一一号証については原本の存在及び成立)は認める。
二、被告
1 提出・援用した証拠
乙第一号証、第二号証の一ないし四、第三ないし第一県号証、証人石川清俊の証言
2 甲号証の成立の認否
甲第一号証、第三号証、第七号証の一、二の成立は知らない。その余の甲号各証の成立は認める。
理由
一、請求原因一の事実(本件処分の経緯)、被告の主張第三の二1の事実のうち、原告らが(一)ないし(三)の各土地を共有していたこと、原告らが昭和四五年分所得税の確定申告において被告主張の譲渡所得の金額を申告していなかつたこと、被告がその主張の加算を行つて本件各更正をしたものであることは、当事者間に争いがない。
二、そこで、原告らに昭和四五年中被告主張の譲渡所得が発生したか否かについて判断する。
1 (一)ないし(三)の土地の譲渡について
被告主張第三の二2の事実((一)及び(二)の土地の譲渡)及び原告らが(三)の土地を田中富作に対し代金一二、四七二、〇五〇円で売渡したことは、当事者間に争いがない。
そこで、右(三)の土地の売買の時期について検討する。
(三)の土地は、原告らが光山鉄太郎から昭和四四年一二月二六日買い受けた土地の一部であり、右原告らの買受けに係る土地は、元渋谷区代々木五丁目四五番一の土地の一部をなしていたところ、昭和四五年一月一四日右四五番一の土地から同所四五番三として分筆され、次いで同年一月二八日右四五番の三の土地が、同所四五番三、同所四五番四((二)の土地)及び同所四五番五に分筆され、更に、同年二月一九日右四五番三の土地が(一)及び(三)の土地に分筆されたものであることは、当事者間に争いがない。右争いのない事実に成立に争いのない甲第五号証の四、乙第二号証の二、証人吉岡忠の証言によつて真正に成立したと認める甲第一号証及び乙第八号証、証人田中富作の証言によつて真正に成立したと認める乙第二号証の一、証人田中富作、同吉岡忠及び同北村啓二の各証言並びに原告本人北村和子の尋問の結果(乙第二号証の一の記載、証人田中富作及び同北村啓二の各証言並びに原告本人北村和子の尋問結果中後記採用しない部分を除く。)を合わせると、次の事実を認めることができる。
原告らは、光山鉄太郎から買い受けた前記土地の一部について、昭和四四年一二月二七日不動産仲介業者を介して田中富作と売買の交渉をし、両者間で前記分筆前の(一)及び(三)の土地部分を二分の一程度に分割して坪単価三三五、〇〇〇円で売買する予約ができ、田中富作は原告らに対しとりあえず手付金二〇万円を支払つたこと、次いで昭和四五年一月に入つてから右両者間において売買の目的たる土地の範囲を前記昭和四五年二月一九日における分筆前の渋谷区代々木五丁目四五番三の土地の内西側より間口三間二分で東側境界線に並行に境界線を引いた西側の土地約三七坪として売買する旨の合意がされ、その頃田中富作から原告らに対し売買代金の内金として一、三〇〇、〇〇〇円が支払われるとともに、原告小島文子と田中富作間で売買契約書(甲第一号証、乙第二号証の二)が作成されたこと、その後同年二月一六日ころ右売買目的土地の測量が行われて同土地の面積が三七・二三坪(一二三・〇八平方メートル)、売買代金総額が一二、四七二、〇五〇円と確定され、同年二月一九日に至り同土地が前記のとおり渋谷区代々木五丁目四五番三の土地から(三)の土地として分筆されたこと、そして、田中富作から原告らに対し売買の内金として合計約七〇〇万円が支払われた後、同年三月二日に田中富作のため同年二月二六日の売買予約を原因とする所有権移転請求権の仮登記がされたこと、
以上の事実が認められる。もつとも、原告らと田中富作との間において作成された前示売買契約書の各作成日付は、いずれも昭和四四年一二月二七日とされているけれども、前掲乙第二号証の一、第八号証及び証人田中富作、同吉岡忠の各証言によれば、右書面が作成されたのは昭和四五年一月であつたが、原告らから田中富作に対し税務対策上日付を昭和四四年に遡らせてほしい旨の要望があつたので、右のように同年一二月二七日の日付を記載したものであることが認められる。前掲乙第二号証の一の記載、証人田中富作、同北村啓二の各証言及び原告本人北村和子の尋問の結果のうち以上の認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
以上認定の経緯に照らせば、昭和四四年一二月二七日の段階では、いまだ売買の目的たる土地が特定されず、売買代金もいまだ確定していなかつたというべきであり、前記手附金二〇万円は田中富作が前記分筆前の(一)及び(三)の土地の一部を買い受ける権利を確保するために原告に支払つたものというべきであるから、昭和四四年一二月二七日に原告らと田中富作との間で所有権が移転すべく売買契約が成立したと認めることはできない。しかして、右両者間において(三)の土地の売買が成立したのは、これらの点が合意に達し、前示売買契約書が作成された翌四五年一月中であると認めるのが相当である。
のみならず、前掲甲第一号証、乙第二号証の二によれば、右売買契約書において原告らは昭和四五年四月末日までに田中富作から売買代金の残金の支払いを受けるのと引換えに同人に対し(三)の土地を明渡し、所有権移転登記手続を了すること、そして、(三)の土地より生ずる収益の帰属、(三)の土地についての公祖公課等の負担及び危険負担は、(三)の土地の引渡しが完了した時点で田中富作に移転することとすることなどが約定されていることが認められるのであつて、右約定に照らしても、(一)及び(三)の土地の部分の約二分の一程度を坪単価三三五、〇〇〇円で売買する旨の前記予約がされたにすぎない昭和四四年一二月二七日の時点において(三)の土地の所有権が田中富作に移転したものということはできない。
そうすると、(三)の土地の所有権が移転し、(三)の土地の譲渡による収入すべき金額が確定したのは昭和四五年に至つてからであるというべきである。
被告は当初(三)の土地の売買契約が昭和四四年一二月二七日成立したと主張し、原告がこの事実を認めた後にこれを撤回し、新たに右売買の成立は昭和四五年一月七日過ぎころと主張するに至つたのであるから、右は自白の撤回に当たるというべきである。しかし、右売買が成立したのは昭和四五年一月中であつて昭和四四年一二月二七日でなかつたことは前認定のとおりであり、右自白は事実に反し、かつ被告の錯誤に基づくものと推認されるから、右自白の撤回は許されるというべきである。
なお、被告は、予備的に、昭和四五年四月五日ごろに至り田中との売買契約は解除され、原告らがあらためて同月二五日ごろ訴外松永滋に対し(三)の土地を代金一二、四七二、〇五〇円で譲渡した事実を主張するのに対し、原告らは、これを争い、右は田中が松永に転売したもの、あるいは三者間で買主変更の更改契約をしたものと主張する。しかしながら、原告らと田中間の売買契約が解除されたうえ、松永への譲渡がされたのであれば、原告らの譲渡所得の発生は、松永への譲渡がされた昭和四五年ということになるし、仮に原告らと田中間の売買契約は存続し、田中から松永に転売されたとしても、原告から田中への譲渡が昭和四五年に入つてからであることは前記認定のとおりであるから、いずれにせよ譲渡所得は昭和四五年に発生したものといわねばならない。
以上によると、原告らは昭和四五年中において(一)の土地の譲渡により一六、八六九、〇〇〇円の、(二)の土地の譲渡により一二、二四六、四〇〇円の、(三)の土地の譲渡により一二、四七二、〇五〇円の各収入金額を得たことになる。
2 措置法三五条の適用の有無について
(一) 原告らが(一)及び(三)の土地を敷地として本件建物を共有し、同所に原告小島文子及び原告小島澄子が居住していたこと、(一)及び(三)の土地は右建物とともに譲渡されたものであることは、当事者間に争いがない。
(二) 原告北村和子の居住関係について
原告らは、(一)ないし(三)の土地の売却当時原告北村和子は本件建物に居住していたものと主張する。
しかして、成立に争いのない甲第八、九号証及び証人石川清俊、同北村啓二の各証言並びに原告本人北村和子尋問の結果によれば、昭和四四年五月原告北村和子の父訴外小島武男が死亡し、その後本件建物には夫の死亡にシヨツクを受けて一時病気がちとなつた母原告小島文子と壟者である妹原告小島澄子の二人だけが居住することとなつたため、原告北村和子は、母及び妹の世話をしたり、(一)ないし(三)の土地の売買に関する不動産業者等の応接をしたりする必要から、当時夫北村啓二及び子供二人(三才及び幼稚園児)とともに居住していた世田谷区南烏山六丁目一〇番二所在の東京都住宅供給公社の賃貸アパートから原告小島文子方(本件建物)にしばしば来訪し手伝いをしていたこと、原告北村和子は夫や子供の世話のため常時原告小島文子方に居ることはできず、用事を済ませれば再び自宅に帰えるという生活をくり返していたこと、原告北村和子の住民登録は前記南烏山にあり、昭和四五年四月一〇日になつてから原告小島文子方に移転されたこと、同年三月ころ本件建物取壊しのため原告小島文子、同澄子は渋谷区代々木五丁目の敷地方に移転したが、同所においても原告北村和子は同居していないことが認められる。
右認定の事実関係のもとにおいては、原告北村和子の生活の本拠は南烏山の右自宅にあつたと認めるのが相当であり、同原告が本件建物に居住していたものとは認められず、他に右原告主張事実を肯認するに足る証拠はない。
また、原告らは、原告北村和子が本件建物に居住する意図を有し、本件建物の敷地を譲渡する時点で、右の意図は近い将来実現されることが客観的に明白であつたと主張するが、同原告が本件建物に居住する意図を有したことを認めるに足る証拠はなく、原告らの右主張は採用できない。
(三) (二)の土地が原告らの居住用建物の敷地に供されていた事実の有無について
原告らは、(二)の土地は(一)及び(三)の土地と一体のものとして、本件建物及び原告らが本件建物の離れとして使用していた別棟建物の敷地の用に供されていたと主張する。
しかしながら、成立に争いのない乙第九号証及び証人北村啓二、同吉岡忠の各証言並びに原告本人北村和子尋問の結果によれば、(二)の土地は(一)及び(三)の土地と地続きであつて、(二)の土地を敷地としてその上に原告ら共有の本件建物とは別棟の建物が存在したこと((二)の土地上に右建物が存在したことは、当事者間に争いがない。)、右建物には、亡小島武男の書籍類が一部保管されていたものの、昭和三四年から右建物が取り壊わされた昭和四五年四月ころまで原告小島文子の弟の未亡人青木和子及びその子に無償で貸し付けられ、同人らの居住の用に供されていたものであり、同人らと原告小島文子、同澄子とは別世帯を構成していたこと、原告らが右建物を自己の生活のために使用することはなかつたこと、(二)の土地と(一)の土地との境界には植込み等で一応の仕切りがされていたことが認められる。右事実関係のもとにおいては、(二)の土地が(一)及び(三)の土地と一体のものとして本件建物の敷地の用に供されていたとも、あるいは右別棟建物が原告らの居住の用に供されていたとも認めることはできない。
他に原告主張事実を肯認するに足る証拠はない。
(四) 以上によれば、(一)ないし(三)の土地の譲渡により原告らが得た収入金額のうち、(一)及び(三)の土地の譲渡による原告小島文子及び原告小島澄子の各収入金額についてのみ措置法三五条の規定が適用になることになる。
3 短期譲渡収入金額と長期譲渡収入金額との区分について(一)ないし(三)の土地は、原告らが昭和二六年以降光山鉄太郎から借り受けていた同人所有の土地(面積合計五四五・四五平方メートル)の一部であること、原告らが昭和四四年一二月二六日ころ光山鉄太郎から右借地を一二、〇〇〇、〇〇〇円(一平方メートル当たり二二、〇〇〇円。ただし、更地価額より借地権の価額を控除した底地価額である。)で買い受け、これを共有するに至つたものであることは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実によれば、(一)ないし(三)の土地のうち各底地部分については昭和四四年一二月二六日以後に取得しているのであるから、右各土地の譲渡に係る収入金額のうち、右底地部分に係る収入は短期譲渡収入金額に該当する。そして、右底地部分の取得の時から譲渡の時までが極めて短期間であるから、その間右底地部分について譲渡益は発生しなかつたものとみなして差しつかえなく、したがつて、右底地部分に係る収入金額はその取得費と同額と認定するのが相当である。
そこで、(一)及び(三)の土地の譲渡による収入金額二九、三四一、〇五〇円のうち、(一)及び(三)の土地(底地部分)の取得代金六、七九七、三四〇円(右各土地の面積合計三〇八・九七平方メートルに前記光山との売買における一平方メートル当たりの底地価額二二、〇〇〇円を乗じたもの。)と当事者間に争いのない右各土地の取得に要した登記費用等の金額一三七、七〇〇円との合計額六、九三五、〇四〇円が短期譲渡収入金額に該当し、その余の金額二二、四〇六、〇一〇円が長期譲渡収入金額に該当する。また、(二)の土地の譲渡による収入金額一二、二四六、四〇〇円のうち、(二)の土地(底地部分)の取得代金二、七八三、二二〇円(右土地の面積一二六・五一平方メートルに一平方メートル当たりの底地価額二二、〇〇〇円を乗じたもの。)と当事者間に争いのない右土地の取得に要した登記費用等の金額七九、八五〇円との合計額二、八六三、〇七〇円が短期譲渡収入金額に該当し、その余の金額九、三八三、三三〇円が長期譲渡収入金額に該当する。
4 取得費
(一) 措置法第三一条の二の規定により、(一)及び(三)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額二二、四〇六、〇一〇円については、その百分の五相当額一、一二〇、三〇〇円が取得費となり、また、(二)の土地の譲渡による長期譲渡収入金額九、三八三、三三〇円については、その百分の五相当額四六九、一六六円が取得費となる。
(二) 前記短期譲渡収入金額については、収入金額と取得費とを同額と認定したこと前示のとおりである。
5 譲渡に係る経費について
(一)ないし(三)の土地の譲渡に係る経費が七六〇、九二〇円であることは当事者間に争いがない。しかして、右七六〇、九二〇円のうち(一)及び(三)の土地の譲渡に係る部分は、右金額に(一)ないし(三)の土地の譲渡による収入金額合計四一、五八七、四五〇円に対する(一)及び(三)の土地の譲渡による収入金額二九、三四一、〇五〇円の割合七〇・五五パーセントを乗じて算出される五三六、八二九円と認めるのが相当であり、したがつて、右七六〇、九二〇円のうちその余の金額二二四、〇九一円が(二)の土地の譲渡に係る経費と認められる。
6 譲渡所得について
以上によると、(一)ないし(三)の土地の譲渡により昭和四五年中原告らに発生した譲渡所得は、次のとおりとなる。
すなわち、(一)及び(三)の土地の譲渡により、原告らには同土地の譲渡に係る長期譲渡収入金額二二、四〇六、〇一〇円から取得費一、一二〇、三〇〇円及び譲渡に係る経費五三六、八二九円を差引いた残額二〇、七四八、八八一円の長期譲渡所得が生じ、原告らはそれぞれの三分の一相当額六、九一六、二九三円の長期譲渡所得を得た。また、(二)の土地の譲渡により、原告らには同土地の譲渡に係る長期譲渡収入金額九、三八三、三三〇円から取得費四六九、一六六円及び譲渡に係る経費二二四、〇九一円を差引いた残額八、六九〇、〇七三円の長期譲渡所得が生じ、原告らはそれぞれその三分の一相当額二、八九六、六九一円の長期譲渡所得を得た。
しかして、原告小島文子及び原告小島澄子の各譲渡所得に係る課税所得金額は、いずれも長期譲渡所得金額九、八一二、九八四円(右六、九一六、二九三円と二、八九六、六九一円との合計額)から措置法第三五条第一項第一号による特例控除金額六、九一六、二九三円及び措置法第三一条第二項による特別控除金額一、〇〇〇、〇〇〇円を控除した一、八九六、六九一円となる。また、原告北村和子の譲渡所得に係る課税所得金額は長期譲渡所得金額九、八一二、九八四円から措置法第三一条第二項による特別控除金額一、〇〇〇、〇〇〇円を控除した八、八一二、九八四円となる。
三、そうすると、被告が、原告らの前記各確定申告に係る所得金額に右原告らの譲渡所得に係る各課税所得金額を加算してした本件各更正に違法はなく、したがつて、本件各更正を前提としてされた本件各決定にも違法はないというべきである。
四、以上によれば、原告らの本件各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三好達 裁判官 時岡泰 裁判官 青栁馨)
別表
<省略>
物件目録
(一) 東京都渋谷区代々木五丁目四五番三
一 宅地一八五・八九平方メートル
(二) 同所四五番四
一 宅地一二六・五一平方メートル
(三) 同所四五番六
一 宅地一二三・〇八平方メートル
(四) 同所四五番
家屋番号 同所四五番九
一 居宅 木造瓦葺平家建 床面積三四・三八坪